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History & Gallery

水引の起源は、
いにしえの飛鳥時代。

 祝儀や結納飾りなど、「ハレ」の日を演出する小道具に欠かせない「水引(みずひき)」。最近では、東京オリンピック・パラリンピック招致エンブレムのモチーフにも使われ、注目を集めました。 その起源は古く、遥か飛鳥時代にさかのぼります。 小野妹子が遣隋使の任務を終えて帰朝した時のこと、隋の答礼使が携えてきた贈り物に、海路の平安無事を祈って紅白の麻紐が結ばれていました。以来、宮中への献上品はみな紅白の麻紐で結ぶ習慣になり、これが水引の原型と言われています。
 当時この麻紐は「クレナイ」と呼ばれ、実際「水引」と呼ばれるようになったのは、平安時代に入ってからのことでした。和歌を愉しむ平安貴族たちは、クレナイを青や黄や紫に染めては詩歌集の綴じ糸に使っていたといいます。その美しさが、鴨川を百花が水に引かれて流されていくようだったところから、「水引」と呼ばれるようになったとも伝えられています。
 麻紐だった水引が現在のような和紙に変わったのは、室町時代以降から。さらに水引が庶民の生活に浸透し、日本独自の文化として根づくには、紙が豊富に出回る江戸時代まで待たなければなりませんでした。
 水引の起源からも分かるように、日本には古来から「結ぶ」ことに特別な想いがあったようです。「花結び」や「結び切り」といった結び方、用い方の細かい約束事が残っているのも、そのためでしょう。

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日本が誇る伝統工芸、飯田水引。

 南信州の飯田は、江戸時代に城下町として栄え、「信州の小京都」とも呼ばれた、街道の要所。東西の文化が交流し、さまざまな文化が育まれました。その代表が、盛んな和紙づくりなどを背景に生まれた「水引」です。
 飯田水引のはじまりは、元禄年間(1700年頃)のこと。当時の飯田領主、堀候が凍豆腐を将軍に献上する際、「クレナイ」の儀式に習って紅白の水引を輪結びにしたことで幕を開けます。 しかし当初は、髷(まげ)を結うための紙紐である「元結(もとゆい)」が主流で、ほぼ同様の製法で作られる水引は、副業に過ぎませんでした。
 飯田の元結は、もともと品質が優れていることで定評がありましたが、美濃から招かれた紙漉き職人、桜井文七が和紙製造にさらに改良を加えると、元結の代名詞「文七元結」として全国にその名を知られるようになりました。ところが断髪令によって元結の需要は激減し、代わって副業だった水引と水引工芸が飯田を代表する産業として発展を遂げることになったのです。
 そして現在、飯田水引は約7割の全国シェアを誇る産業、日本が誇る伝統工芸として、その歩みを続けています。

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生きつづける、「結び」のこころ。

 飯田は水引作りに必要な条件を、いくつも兼ね備えていました。冬でも比較的暖かく、雨の少ない温暖な気候であったこと。和紙の原料となる楮(コウゾ)や三椏(ミツマタ)などが豊富で、古くから和紙づくりが盛んだったこと。天竜川の清流や風越山から湧き出る清水など名水に恵まれていたこと。そして街道の要所として東西の文化が行き交い、流通が盛んであったことなど、まさに水引の郷になるべくしてなったといっても過言ではありません。
 近来、水引そのものの製造はほとんど機械化されましたが、ひとつの製品、作品として細工する作業=結ぶ作業は、現在もすべて手で行われています。
 祝儀専用のイメージが強かった水引も、最近ではさまざまな用途に使われるようになりました。お洒落で遊び心のあるデザインの水引が人気を集める一方、優れた技術を使った美術工芸品としての評価も高まっています。またファッションやデザイン分野での新しい可能性も期待され、飯田の水引は新時代を迎えようとしています。しかし、時が流れ用途が移り変わっても、水引の原点である「結び」のこころと手のぬくもりは生きつづけています。